2020年9月13日(日)、旧河岸めぐり船上ツアーを実施した。参加者は、スタッフを含め8名。河岸は、明治時代から昭和初期にかけて、霞ヶ浦・北浦で、定期船が寄港した港のこと。江戸時代には、霞ヶ浦に48津、北浦に44津と言われていたが、そのうち比較的大きな津が河岸とも呼ばれた。河岸には、高瀬船、蒸気船通運丸、水郷汽船の定期船が立ち寄り、乗客や物資を運び、水運が盛んだった。私たちの「霞ヶ浦水質調査研究会」のもう一つの活動の柱である水運史研究を実践すべく、今回は、沖合から、調査船「がいあ2世号」で各河岸に接近し、上陸はしないが、沖合からかつての河岸を観察し、写真に撮った。
土浦港を出航、まず沖宿へ。沖宿から、牛渡、有河、志戸崎、柏崎、浜をめぐった。柏崎と浜では、かつて渡船の出島丸が出入りしたドックを見学した。さらに高浜入の沖洲では、近年造成された人工砂浜に、折から大量死したハクレンが打ち寄せられている現場を観察した。
午後は、行方市の五町田、今宿、島並、小高などの沖を通り、古宿(麻生港)で上陸し、城下川のやや広くなった河口部(現在は埋め立てで狭くなった)にあった河岸跡を歩いて見学。帰路では、浮島和田岬の河岸に接近したが、風が強くなり、小雨が降ってきたため、古渡、大山、木原など南岸の旧河岸の見学は省略し、土浦に帰港した。現代では、定期航路が廃止されて久しく、船上から旧河岸を巡る機会は無い。今回は、大久保船長の解説で、かつての高瀬船の船頭、通運丸の乗客になった気分を味わう貴重な体験となった。
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