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霞ヶ浦の七不思議 |
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沼 澤 篤 |
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1 霞ヶ浦固有の生物はいますか?
固有種がいる湖の例は、クニマスが棲息していた田沢湖(現在は絶滅)、ニゴロブナ、イワトコナマズ、ワタカ、ヒガイ、ハスなどが棲息する琵琶湖、バイカルアザラシが棲むバイカル湖、さまざまなマウスブリーダー類の魚が棲むタンガニーカ湖やビクトリア湖などがあります。これらは、湖が成立してから数十万年の歴史があり、古代湖と呼ばれます。一方、固有種がいない湖は、宍道湖・中海、八郎潟、サロマ湖、霞ヶ浦などが挙げられます。これらは海跡湖で、歴史が浅い湖です。大陸から遠い島嶼(例:ガラパゴス諸島、小笠原列島、琉球列島)同様、湖という閉じられた生態系で、ある種が分化して別種が生まれる時間は1万年から10万年ほどかかるとも言われます。霞ヶ浦では明治期以来、104種の魚類が記録されています。ヒタチチリメンカワニナは、流入河川をふくむ霞ヶ浦北浦水系に棲んでいますが、湖特有の固有種とはいえないようです。
2 霞ヶ浦が海だった証拠は何ですか?
霞ヶ浦沿岸をみると、かすみがうら市の歩崎、有河(一ノ瀬川河口)、美浦村の馬掛のように海食台地形が存在します。これらの地形は霞ヶ浦が海だった時代に強い波浪によって侵食されてできたと思われます。縄文時代に成立した貝塚からは、たくさんの海産魚介類が出土します。奈良時代に編纂された常陸国風土記には浮島で製塩を行っていた記述があります。当時霞ヶ浦という呼称はなく、香取の海、行方の海、佐我の海、あるいは流れ海と呼ばれていました。現在棲息する生物では、ワカサギ、シラウオ、イサザアミなどは霞ヶ浦が海だったことを示しています。植物では、浮島や大山などではハマエンドウ、ハマヒルガオ、コウボウシバ、ワセオバナなどの海浜植物が分布しています。
3 霞ヶ浦とよく似た湖沼はありますか?
「井の中の蛙」にならず、他湖沼との比較において霞ヶ浦を捉えなおすことは、とても有効で重要です。しかし、よく比べられる琵琶湖は、県民意識の高さや滋賀県による琵琶湖対策など参考にすべきことは多いが、深い断層湖であり、流域の土地利用、汚濁要因などはかなり霞ヶ浦と異なります。むしろ、サロマ湖、ノトロ湖、網走湖、十三湖、八郎潟、浜名湖、宍道湖、中海、フィリピンのラグナ湖、タイのソンクラ湖など平野部の広く浅い湖沼である海跡湖の方が霞ヶ浦との共通点が多いのです。ただし、これらの海跡湖は、流域の土地利用、気候、汽水湖か淡水湖か、開発圧力、水資源としての利活用、隣接あるいは流入河川との関係性における治水対策などが湖沼ごとに異なり、二つと同じ湖沼はなく、結局は、その湖沼の性格をよく見極めた上で、地域社会との望ましい関係性を模索していくことが肝要です。
4 霞ヶ浦の水質改善はなぜ困難なのですか?
霞ヶ浦の湖水は重金属や化学物資(農薬など)による深刻な汚染を受けているわけではなく、主に栄養塩類(窒素やリンをふくむ)や有機物による富栄養化が過度に進行したことで、様々な障害が発生しています。富栄養化は閉鎖生態系となった湖沼では、長い年月をかけてゆっくり進行し、適度な段階では漁業が盛んになって高い生産性を示します。しかし、流域に多くの人が住み、高度に土地利用されている霞ヶ浦では、富栄養化の進行速度が速いのです。富栄養化の原因となる負荷は、生活廃水や農業や畜産業からの排水に由来します。つまり霞ヶ浦の水質を悪化させている要因は、私たちの日常生活や産業に起因するものなので、改善は難しく、効果を上げるには下水道設置をはじめとして、費用と時間がかかります。また、流入河川や湖沼沿岸が河川改修や築堤によって人工化され、自然浄化作用がある湿地が激減したことも、水質悪化に拍車をかけています。
5 霞ヶ浦の底泥は、やっかいものでしょうか 資源でしょうか?
皆さんは、「泥は汚い」と思いますか。実は科学的には泥はとても重要な研究対象です。泥は、細かい岩石成分(シルト)に有機物(動植物が分解途中の成分)が混じったものです。通常、形態的に泥は泥濘(形あるものが分解され、浄化される過程)の形状をしているため、扱いにくく役に立たないと思われることが多く、泥が多い湿地は干拓や埋め立ての対象になりました。しかし、泥は、ユスリカ類、イトミミズ類、貝類など底生生物の棲家であり、莫大な量のバクテリアが活動しているダイナミックな世界なのです。有機物が多い泥は酸素が好気細菌によって消費されるため酸欠になりやすく、次の段階では嫌気細菌によってメタンガスや窒素ガス、時には硫化水素ガスが発生します。また泥中の金属イオンに結合していたリンが遊離して、湖水中の溶存態リンとなり、アオコ(植物プランクトンの藍藻類)の養分になります。還元状態では、泥は黒っぽい色ですが、空気中にさらすと鉄分が酸化されて茶色く変色します。霞ヶ浦の底泥をコアサンプラーで丁寧に採取し、各層を分析すると、火山灰の降灰など過去に起こった事象が判ってきます。またシジミ類の分析から霞ヶ浦の汽水性の歴史が読み取れるのです。
6 霞ヶ浦沿岸帯の湿地は回復可能ですか?
築堤前の本来の霞ヶ浦沿岸帯の湿地の状況を知ることは現代では困難ですが、わずかに残った浮島妙岐の鼻湿原や土浦市田村や北浦の巴川河口アシ原をじっくり観察することで想像できます。また国内外の開発が進んでいない海跡湖の視察で知ることができます。茨城県内では、涸沼や水戸市大塚池の湖岸景観が貴重です。本来の沿岸帯湿地は砂浜、アシ原、ヤナギ類やハンノキの湖畔林が連続する緩傾斜の土地です。砂浜とアシ原の間には湖水の増水時や波浪が高い台風来襲時に形成された浜堤(ひんてい)が観察される場合もあります。こうした自然状態の沿岸湿地は、霞ヶ浦では築堤とハス田や稲作水田(しかも土地改良された水田)によって喪失してしまいましたが、実は沿岸湿地は自然浄化作用が機能する大事な場所でした。その自然浄化作用は、波浪、吹走流、増水、湿地の冠水、有機質塵芥の打ち上げ、減水時の濾過、腐朽分解(異化)、そして湿地植物の成長(同化)からなる連続した、物理的で化学的な事象の連続で説明されます。こうした本来の湿地回復は、霞ヶ浦の水質改善にとって必須であり、部分的な引き堤工事を浮島和田岬公園、行方市高須崎公園、土浦市霞ヶ浦総合公園で行うことを提案したいと思っています。水辺公園として画期的な景観改善が期待できます。本来の「純正」親水公園のモデルにもなります。
7 霞ヶ浦の強い波浪にも役割はあるのですか?
近年霞ヶ浦では、波浪が植生帯を破壊するとして悪者視し、消波施設が各所に大量に建設されました。しかし、波頭は自然現象であり、かつては波浪があるにもかかわらず、植生帯が存在しえたことを考えれば、植生帯衰退の真の原因は他にあることになります。その原因は築堤そのものであり、堤防が陸域からの土砂の流出を阻止しているために、波浪の作用が相対的に強くなっているように見えるのでしょう。霞ヶ浦で、強い風を伴う台風が過ぎ去り天候が回復してから、風下地区を巡回すると、多量のゴミ類(ビン、缶、ビニール・プラスチック類に加えて流木や竹竿類、アシ断片、かつては千切れた水草類などの有機質)がわずかな湿地に打ち上げられている状況を観察できます。これらは目に見えるゴミ類ですが、実は目に見えないプランクトン類も波浪によって湿地に大量に運ばれているはずです。一方、台風一過後の湖面にはゴミ類は見当たりません。つまり、流入河川が運搬して湖内に流入させたゴミ類は、そのままでは湖水中で分解して水質を悪化させるはずですが、強い波浪によって沿岸に打ち上がり、水質悪化が防がれたのです。つまり強い波浪が湖水を浄化させる機能を果たしていることになります。このように自然現象は、「親の意見となすびの花」同様、何ひとつ無駄なものはなく、重要な役割を果たしています。浅薄な理解で波浪を悪者視し、粗朶製であれ、石積み製であれ、消波施設を大量設置したことの誤謬を認識し、改めるべきです。しかし、消波施設の撤去には、また多額の予算が必要になります。残念なことに、一度間違ったことをやると、「屋上屋を重ね」、「恥の上塗り」になる好例となってしまいました。
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