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歴史が教える霞ケ浦浄化法 −霞ヶ浦の変遷と汚濁の歴史1−
              【本文を読むにあたってのご注意】

現在COD(過マンガン酸カリウム消費量による化学的酸素要求量)が、一般的に水質の指標として用
いられる傾向が強いが、CDOは1つの指標であり、おおよその判断をつけるための目安であると言う
べき項目であろう。根本的な水の富栄養度を見るにあたってはT-N(トータル窒素)、T-P(トータルリ
ン)が真実を見る上で最も的を得たデータである。実際、霞ヶ浦の沖合いの濁りの大部分は植物プ
ランクトンによるもので、植物プランクトン類の大発生がいわゆる Water Bloom現象を引き起こし
透明度は著しく低下して不快な様相を呈す原因になっているのである。ではなぜ Water Bloom現象
は引き起こされるのであろうか?その原因が窒素とリンなのである。いわゆる植物が成育するため
に最も必要な肥料が窒素、リン、カリと言われているが、水中の植物プランクトンも例外ではなく
栄養になる窒素、リンが大量に含まれていれば、それを栄養として、爆発的発生へと至る分けであ
る。下水処理場から排水される処理水は一見きれいに見えるが、実は窒素、リンを大量に含んだ高
栄養水で、しばらく霞ヶ浦のような、ほぼ滞留した環境におかれることにより植物プランクトンが
大発生して濁る『自濁現象(じだくげんしょう)』を引き起こす、環境にとっては思わしくない水
なのである。汚濁した水の浄化とは、植物プランクトンの栄養源となる窒素、リンを断つことであ
り CODを下げるだけのものではないということを念頭において下記の文をお読みいただきたい。今
回は、濃度計算を行う上で CODが非常に用い易い単位だったため、それをもとに以下の内容を説明
した。また、利根本川は、霞ヶ浦より CODは低いが、農地を多く含む広大な流域を洗い流して合流
する水であるため、面源的肥料汚染の傾向が強く、通常測定した値ではT-N、T-Pは非常に高い傾向
にある。その値は霞ヶ浦の数倍であり『自汚』し易い水質と言えよう。しかし利根本川のプランク
トンは霞ヶ浦に比べ極端に少ない。その理由は滞留日数にある。利根本川には順流した流れがあり
水は長期同水域に滞留しない。霞ヶ浦では、約 200日滞留する。このことが、植物プランクトンが
大発生する『自濁』により、CODを高める原因になっている。つまり、滞留日数が短ければ植物プラ
ンクトンの生産が追いつかず、『自濁』しにくい環境になるというわけである。本文中の内容では
利根本川の洪水によって滞留日数が短かった霞ヶ浦の環境を CODを用いて単純にシュミレーション
した結果を記したものである。  
*自濁(じだく):自浄作用の反対語で水が自ら濁っていく現象
              【 霞 ヶ 浦 変 遷 の 歴 史 】

約1300年にわたる霞ケ浦の変化を簡単に理解できるよう年表グラフにしてみた。千数百年前から数
十年前にわたる科学的データもちろん存在しないが、歴史上の背景をもとに想定してみたものであ
る。約 350年前の利根川の東遷を機会に霞ケ浦の歴史はそれまで歩んできたものとは大幅に変化し
また近年の大公害時代は、常陸水門の完成を機に極め一瞬の間に、到来したことがうかがえる。注
目されれる点は常陸川水門(以後逆水門と称す)が完成後も塩害を農業にもたらし、漁業との関連で
多大な被害にも目をつぶり開放されていたにもかかわらず、昭和50年の『完全閉鎖』を見ないうち
に CODは10mg/lを突破、昭和46年以降相次ぐ養殖鯉の大量へい死、同48年のアオコ大発生へと至る
過程である。逆水門が昭和38年に完成した後わずか十年間のエピソードである。
A 713年 浮島で塩を焼いていた 1594年 利根川東遷一部着手
1621年 利根川の霞ヶ浦へ向けて付け替え着手 1654年 利根本川の水霞ヶ浦へ流れる。
1721年 浅間山噴火による土石流香取浦に堆積 1809年 利根川付替部拡幅、香取浦ますます埋まる
G 1948年 常陸川、北利根川浚渫着手 H 1958年 常陸川水門着手
1962年 常陸川水門完成。洪水なくなる J 1972年 アオコ大発生、養殖鯉大量死
K 2005年 スケレトネマ赤潮、鯉ヘルペス発生。養殖鯉大量死 D〜G頃まで利根本川大量に土砂運び洪水多発
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